はじめまして!
わたくし、「とら壱」と申します。
タイトル通り、650万の借金をかかえながらも、いまは元気にいきている私です。
若いころの浪費がたたり、現在は債務整理を行い、膨れ上がった借金をコツコツ返済中です。
今回は、私の過去の借金経緯や、現在どのようにして返済をしているかについて紹介させていただきます。
もし、同じく借金に悩んでいる方がいたら、私の経験談を少しでも不安や悩みを解消するヒントに役立てていただけると幸いです。
まずはカンタンに「とら壱」自己紹介
わたしの名前は「とら壱」。
もちろん、このブログのニックネームです。
本名を公表できるほど肝っ玉がすわってない、東北うまれの30代おっさんです。
高校までは田舎で生活していましたが、大学進学とともに関東に進出。
就職で都内に移ってからは、10年くらいは都内で働いていました。
飽き性で、めんどくさがり屋の私は、どんな仕事も楽しくできたためしがありません。
やりがいもなく、ただ生活のためだけに働いていたので、いつでもモチベーションは急降下。
その結果、転職もこれまでに4度経験しています。
また、基本的にマイペースで自由人なので、仕事に対する熱い気持ちを強制してくる人がとても苦手でした。
しかし、30代にもなると、ある程度責任ある業務やポジションを求められるのでそんなことも言ってられず、無理して仕事を頑張りすぎた結果、うつ病を発症。
その後1年間、働くこともできず、リアルに引きこもる生活が続きました。
人生おわたー、ってほんとおもいましたね。
でも1年たって、このまま人生終えるより、何か行動してみようかな。
と、ふと思い立って、都心を離れてみることにしたんです。
荷物もほとんど断捨離し、環境をがらりとかえてみると、いやな仕事の記憶や苦手な人付き合いをリセット出来た気がして、もう一度社会復帰してみようかなという気持ちになりました。
現在は、ゆっくりした時間の流れる場所で、サラリーマンとして働きつつ、自由に生きたいという目標をかなえるために、副業にもチャレンジしています。
ファッションにはまった学生期
ここからは、私が借金人生を歩む羽目になったストーリーをお伝えします。
借金人生のきっかけとなったのは、大学時代にはまった「ファッション」への投資でした。
当時は、ストリートファッションが流行しており、渋谷・原宿には数多くのブランドショップがオープンしていた時期。
私も、それらのファッションに魅了されていた一人で、毎週のように店に足を運び、洋服をチェックしていたのを覚えています。
しかし、大学時代の私はほとんど親の仕送りで生活していたため、洋服を買えるほどの余裕はありません。
そのため、いつも友人が買うのを指をくわえてみているだけの生活でした。
しかし、クレジットカードを手に入れてからというもの、魔法のカードを手に入れたかの如く、リボ払いで服を買うようになったんです。
もちろん、学生時代のカード上限はそれほど多くはなかったので、すぐに使えなくなってしまったので、大きな借金につながることはありませんでした。
しかし、このとき感じた「カードの魔力」が、その後の私の借金人生に拍車をかけてしまうことになるのです。
カード上限が増えた社会人
大学を卒業し、企業に就職すると、社会的な信用度も高くなります。
すると、いろんな金融機関や銀行から、「借入上限をふやしませんか?」という魔のささやきが増えてくるのです。
はじめのうちは見ないようにしているのですが、社会にでると、学生の頃よりも遊びにお金をかけるようになります。
同僚との飲み会もふえますし、バイトより収入も増えるので、欲しかったものだっていろいろ買えるようになりますから。
でも、その欲望のままに行動していては、お金なんてすぐ底をつくんです。
社会人なりたての給与も、一流企業でもない限り、一般的にはそんなに高くないですからね。
そんな時に踏み入ってしまったのが、「カードローン」でした。
クレジットとは違い、ATMで手軽にキャッシュを借入ることができるカードを手に入れてしまった私は、自分の身の丈に合わない買い物や遊び方をするようになってしまいます。
大学時代、カードでお金を使うことに抵抗を失っていた私は、返済額よりも多い支出を続けるようになります。
それでも、あまり大きな買い物をすることはなかったので、急激に借金が増えるということはありませんでした。
しかし、社会人3年目のある日、ついに私はハマってはいけない領域に踏み込んでしまうのでした。
ギャンブルにはまり、依存症に。
社会人3年目にして、初めて転職をした私ですが、その転職先がまったく合わない環境でした。
上司とはウマが合わず、嫌味を言われる日々。
社長と社員は毎日どこかで怒鳴りあいのケンカ。
仕事内容も単調で、毎日が苦痛の日々でした。
そんなとき、友人が気晴らしにと誘ってくれたのが、「パチスロ」でした。
ギャンブルをしてこなかった私ですが、興味本位で一緒に遊びに行くことに。
通常であれば、ビギナーズラックで大当たりした人が、ギャンブルにはまっていくという流れが一般的ですが、みごとに大負けでした。
しかし、私の場合、負けたことが逆に闘争心に火をつけてしまい、「勝てるまで辞められない!」という精神状態になってしまったんです。
それからというもの、仕事帰りに「パチスロ」によっては、当たりがでるまで居続けるという日々が続きます。
あたりが出たときの快感を得るために、ひたすらお金を溶かす日々が続き、私のの生きがいがギャンブルとなってしまったのです。
そんな日々が3年続き、カードローンも自転車操業でいろんな金融機関から借り入れ、気が付けば借金650万までふくれあがってしまったのでした。
大手に転職も、半年でうつ病に。
借金で悩んでいた反面、仕事面では一つ好機が訪れます。
タイミングにも恵まれ、大手企業への転職が決まったのです。
借金も安心して返していけるくらいに給与も大幅アップし、心入れ替えて頑張っていこうとしていた矢先でした。
転職先がこれまた合わず、わずか半年で精神をやられてうつ状態になってしまったのです。
結局、休職を1年間したのち、期間満了となり退職することになったのでした。
都心を離れ、人生をリセット
うつ病になった私は、1年ほど本当に無気力状態で、毎日自己嫌悪で眠れない日々を過ごします。
時には、本気で「死んだほうがいいのでは?」と思い悩んでしまうくらい、人生に光がない毎日でした。
しかし、もう一度やり直したいという気持ちもあった私は、いちど嫌な思い出をすべて捨て、別の環境で人生をリセットしてみようと思ったんです。
10年近く住んだ都心を離れ、実家でもなく、まったく行ったことのない別の土地に引っ越すことを決めました。
その行動のおかげで、私は気持ちをしっかり切り替える事が出来、今では新しい職場で仕事をすることができています。
収入は前職よりも半分ほどにダウンしてしまいましたが、それでも今は、前向きに、少しずつ新しい目標に向かってポジティブに頑張れるようになっています。
仕事を失って初めて、借金と本気で向き合うようになった。
私は現在、債務整理をして、毎月決まった額の返済を続けています。
前までは、毎月の返済分ほとんどが利子の支払いで消えてしまい、元本が減っていく感じがほとんどありませんでしたが、今は着実に元本が減っているのを感じています。
心のどこかで、「借金なんて、いつか返済できるだろう」と思っていた自分がいましたが、それは本当に大きな間違いでしたね。
でも、おそらく借金している人みんなそう思っているんじゃないかって思います。
一度作った借金は、しっかり計画をたてて、意識的に返済していかないと返すことはできません。
私のように、「いつか返せるだろう」という根拠のない妄想は、未来の自分を破滅に追いやることになってしまうので、要注意です。
正直、私ももっと早くに相談すべきだったと今は思っています、、。
ということで、今回はわたしの借金ストーリーについてご紹介いたしました。
もし、あなたが少しでも借金があるのであれば、出来るだけ早い段階で返済プランを考えるか、弁護士などの専門家に相談することをおススメします。